志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.1 2007年8月8日掲載分
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繁華街のカラスと住宅地の野良猫はどっちがたくましいか |
東京のカラスの数がひところより減ったという。
石原知事のお声がかりで始まった都のカラス減らしの対策が効を奏したのかもしれない。
とは言え、早朝ウォーキングで目撃する繁華街のカラスは、わがもの顔に生ゴミをあさっている。
歩いている僕の肩先や、胸の前を平気でかすめていく。
とくに目に余るのは、六本木交差点のカラスどもだ。
朝帰りの酔っ払いたちの頭上を、カラスがしきりに飛び交う。
こいつらが散らかした生ゴミときたら、車道の真ん中まで広がっているのだ。
この前なんか、若いやつがゲロゲロ歩道にはいているのを、そばのガードレールに止まって見ているカラスがいたの。
そいつの意図に気づいて、僕が見ていると、案の定、若者が立ち去ると、カラスのやつ、ゲロしたものの中から未消化の肉片をくわえて飛び去った。
ゴンベエが種まきゃカラスがほじくる・・・この光景を思い浮かべると、つい笑いがこぼれる。
東京のカラスも、まだ生ゴミの少なかった昭和30年代までは、時に笑いを提供してくれる存在だったと思う。
姉がプリプリしていたことがある。
「カラスの仕業よ、こんどナギナタでばっさりたたき切ってやるわ」
姉が見上げているところは、百日紅のこずえ近くの枝で、そこにピンク色のパンティーがひっかかっていた。
女子高でナギナタを習っていた姉が、干しておいたパンティーを百日紅の小枝に移したいたずらカラスをたたき切ったかどうかはおぼえていない。
ただはっきり言えるのは、そのころまでは人間とカラスはまあまあうまく共生していた、ということだ。
飽食した平成日本人は、アフリカ大陸の年間餓死者を充分生き延びさせられるだけの量の生ゴミを出すようになり、カラスの数をどんどん増やす因を作った。
ところで、住宅地のカラスは、どこかに昔のカラスの気風を残しているやつがいる。
写真のカラスは、渋谷の住宅街の某小公園を縄張りにしているゴンパチだ。
ウォーキングの途中、この小公園のトイレをちょくちょく拝借するが、ある朝、園内に足を踏み入れたとたん、グワッ、グワッ、とカエルの鳴き声が聞こえた。
えっ、どこだい、と僕は足許や、周囲の地面を見回したが、カエルの姿はないっ!
グワッ、グワッ、とまた聞こえた。
どうも右手の椿の枝あたりから聞こえる。
よくよく見ると、目の高さほどのそこにカラスがすまして止まっているではないか。
それから十日ほど経って、またこのカラスにカエルの鳴き声で出迎えを受けた。
僕は、それに報いてゴンパチという名をプレゼントしたのだ。
いつだったかの小雨の朝、ゴンパチはヒヨドリそっくりの鳴き声をして迎えてくれた。
僕が好んで歩く玉川緑道には、野良猫が多い。
子育ての頃には、茂みの間に横たわって子猫たちに授乳していることもある。
こういう光景を見ると、玉川緑道が野良猫だらけになりそうだが、そうはならない。
そのわけに、カラスがかかわっている。
玉川緑道周辺の住宅地で生ゴミあさりをしているカラスの数は、繁華街のカラスほど多くはない。
悪党ぶりも、繁華街のカラスに比べれば大分ましである。
それに、住民の生ゴミの出し方もきちんとしている。
この地域でまだ薄暗い早朝、カラスと野良猫が生ゴミをめぐって熾烈な縄張り争いを演じているのをご存知だろうか。
大人の野良猫なら、相手が一羽のカラスだったら難なく追っ払うことができる。
しかし、カラスはすぐに仲間を呼ぶので、野良猫は逃げ出すしかない。
カラスは、野良猫の子猫をよく狙う。
親から離れたばかりの子猫を狙うので、狙われると、たいていはその餌食になってしまう。
ところが、野良猫は、巣立ちしてまもなくのカラスが地上で餌をあさっているところをよく襲う。
これで住宅地のカラスと野良猫は、バランスシートがとれているらしい。
カラスが野良猫の子猫を襲うのも、野良猫が子ガラスを狙うのも、ともに餌にするというよりは、縄張りを荒らす敵を増やさないためのようである。
このように、住宅地のカラスには野良猫という有力な敵がいるが、繁華街のカラスにはもはや天敵はいない。
こうなれば、人間が天敵になるしかない。
繁華街の生ゴミの収集は、真夜中にしたらどうだろう。
清掃員の方はたいへんだが、真夜中手当てをたっぷり弾んでやればいい。
どなたかカラスを主人公にした、ほのぼのとした絵本をご存知でしたらお教えください。
性格がよくて、賢くて、ユーモラスなカラスにお目にかかりたいのです。
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