65歳か、はな子、ありがとう、これからも元気を与えてほしい /ブログ/読み聞かせ劇場
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志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.199
2012年1月15日 掲載分
65歳か、はな子、ありがとう、
これからも元気を与えてほしい
井の頭自然文化園で飼われている、
アジアゾウのはな子が65歳(推定)になった、
はな子は1947年生まれなことが、
確認されているが、
誕生の月日がはっきりしない、
それで、年明けとともに、
1歳年を取らせている、
はな子は2歳のとき、
平和の使者として、
タイから上野動物園へ、
貰われてきた、
それだけで大変な騒ぎになり、
一躍、超人気アイドルになった、
当時、僕は小学4年だった、
その年の夏休みに、
2歳下の仲よしの女の子が、
不慮の事故で死んだ、
近所の小さな空き地に、
お父さんたちが、
鉄棒を作ってくれた、
いっとき、その空き地が、
何かの工事に使う、
砂利置き場になった、
鉄棒は高いの中ぐらいの低いの、
と3通りあった、
高いと言ったところで、
子供用である、
僕は中の鉄棒で、
逆上がりの練習をしていた、
仲よしのその子がやってきて、
低い鉄棒で遊びはじめた、
腹部のところで上体を折り、
1回転させようとしたときに、
砂利を満載したトラックが、
バックで入ってきた、
荷台の角の下部が、
その子の頭にぶつかった、
軽く触れたように見えたが、
そのまま意識をなくし、
現場で息を引き取った、
僕はショックで何日も、
体調を壊した、
小学生時代、虚弱でよく熱を出しては、
学校を休んだ、
そのときも2,3日休んだと思う、
秋になって、
購読していた小学生向け新聞に、
はな子の記事がでかでかと、
載った、
その記事に刺激され、
不意にはな子に会いたくなった、
微熱でだるい体をおし、
上野動物園に行くことにした、
むろん、親に内緒である、
当時は都下の国鉄官舎住まいだった、
上野動物園までは中央線、
山手線を使って1時間半ぐらい、
かかったと思う、
はな子は檻から外に出されて、
黒山の人に囲まれていた、
板の台に乗り、
芸を見せていた、
想像していたより体が小さいのに、
少し驚いた、
もっとも、まだ2歳そこそこだった、
はな子が飼育係から渡された、
紙製の日の丸の小旗を、
鼻で握り高々と振りかざしたとき、
凄い拍手が起きた、
僕も夢中で拍手していた、
芸を終えたはな子は、
飼育係に導かれて、
檻へ帰っていった、
そのとき、鋭い声で鳴いた、
そのはな子に痛々しさを感じた、
まだお母さんのおっぱいが恋しい、
いたいけな子象に過ぎない、
きっと淋しいはずだ、
夜は泣き通しかもしれない、
我が家の飼い犬が貰われてきて、
しばらくは親を恋しがり、
夜通し鳴いていたことを、
思い出し、
僕はそう確信した、
でも、そんなあどけない子象なのに、
親と別れはるばる日本へきて、
こうしてみんなを喜ばせている、
そのことに感動し励まされ、
勇気と元気を貰った、
その後も何度か上野動物園へ、
足を運んだ、
井の頭自然文化園へきてからは、
度々、はな子に会いにいった、
いつも凹んでいるときに行ったせいか、
いつも元気を貰った、
そのはな子が酔客を踏み殺し、
さらにその数年後、
飼育係を踏み殺すという、
事件を起こした、
第一の事件から、
僕ははな子に会いにいかなくなった、
再会したのは約40年ぶりのこと、
僕が読み聞かせ活動を始め、
絵本も描き始めてからだった、
「ぞうのこどもがみたゆめ」という、
物語を作ったときに、
無意識のうちに、
はな子をイメージしていることに気づいて、
思い立って会いにいったのである、
おだやかで年輪を重ねた、
はな子がそこにいた、
はな子、ありがとう、
と思わず僕は声をかけていた、
以来、1年に1度、会いに行っている、
やはり、元気を貰う、
今年もそろそろ行こうか、と思っている。
志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ KIBA BOOK 志茂田景樹事務所
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