僕には劣等感がいくつもあった、 今も2つ3つはある、 でも、小さな劣等感だから気にしない、 劣等感は感受性の正常細胞が、 がん細胞に転じたようなもの、 そんなのしょっちゅう生まれて、 しょっちゅう免疫細胞の餌食になっている、 劣等感も同じで、 小さなものはほっといていい、 消えたり表れたりしてね、 逆に負けん気を掻き立てられたりして、 プラスになることが多い、 だけど、 増殖させて手に負えなくさせちゃ駄目だ、 そういう劣等感をいくつも持っていたけどね、 負の幻想なんだから醒めりゃいいか、 そこに気づいてから正になっていった、 1つ、例をあげて説明しようか、 僕は5歳のときに耳を悪くし、 やや難聴になった、 音感を養えず音痴になった、 それが引け目で、 音楽の実技のある日は、 朝から体調が悪くなり、 学校を休んだ、 でも、次の音楽の授業のとき、 休んだものは歌わせられる、 声が出ないんだよ、 やっと振り絞っても蚊の鳴くような声で、 音程もない、 なんだありゃ、とみんなぽかんと見ている、 もういいよと先生に解放され、 自分の机に戻るときの惨めさったらなかった、 高校で音楽が選択科目になったときは、 ほんと嬉しかった、 社会に出てからね、 カラオケという天敵が出現し、 僕は戦々恐々の日々を味わった、 得意先の接待というと、 飲んだあとはカラオケだもの、 むろん僕はパスした、 でも、何度もパスすると上司に呼ばれ、 「大事なお得意を接待しているのに、 なぜ歌わない。座がしらけるじゃないか」 と、こっぴどく叱られた、 別のときに、 番が回ってきて、 獄門首になるつもりで、 ステージに上がって歌ったけど、 やはり、蚊の鳴くような声で、 かえって座をしらけさせた、 このあと、考えが変わったのかな、 音痴を引け目にしているのは、 歌はお手本のように、 ちゃんと歌わなきゃ、 と思い込んでいるからだ、 自分が歌いたいように、 自分流に歌えばいいじゃないか、 そうして、 「勝手にしやがれ」を自分流に、 精一杯の声で勝手に歌った、 みんな最初、唖然とした顔になった、 途中で凄いという表情になり、 歌い終えたら本物の拍手が起こった、 これだと思った、 引け目に思っていたから、 負の幻想は増殖していった、 さらけ出して開き直れば、 これは武器だと解った瞬間だった、 ひと頃、僕の歌は、 あちこちのカラオケで、 バイオレンス演歌とはやされた、 後年、 テレビのバラエティー番組に露出を始めたとき、 それは僕の特性の1つになった、 もう1度言う、 劣等感は負の幻想で、 それを払拭してしまえば、 ほかの人にはない特性に変貌する。
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