2000年に入ってまもなくのことだったと思いますが、 兵庫県の西宮市立瓦林小学校のPTA役員の方から、 電話をいただきました。 「うちの小学校の子どもたちには、5年前の阪神大震災の被災児童が大勢います。 その子たちの多くは、今も被災時の恐怖から逃れられないでいます。 夜中に悲鳴を上げて飛び起きたり、大型トラックが走って起こす振動に怯えて、 近くにいた大人にしがみついたりします。絵本の読み聞かせが、 そういう子どもたちの心の癒しになってくれれば、と思いまして…」 よい子に読み聞かせ隊にきてほしい、という依頼でした。 期日は3月20日。スケジュールに問題はなく、引き受けたものの、 期日が迫るにつれ、何をやるかで一緒に行くメンバーと頭を悩ませました。 大震災被災のPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩んでいる子どもが多いのなら、 悲しい場面が出てくるお話や、病気と闘う子どもが主人公の物語は、 まずいのではないか。 楽しい場面が続く絵本をやろうか、などといろいろ悩みました。 当時、すでに僕は物語が自作の絵本を2、3冊刊行しており、 読み聞かせ&講演ではそれをおもに読み聞かせするようになっていました。 特にそれを意図したわけではないのですが、 悲しい場面では大人子どもを問わず、 あちこちで涙ぐむ光景が見られます。 PTSDに悩む子どもたちを悲しませてはいけない、 という自制が働きました。 しかし、と僕は自分の中で首を振りました。 それまでの活動で多くの泣く子を見てきて、その子たちが読み聞かせの終了後は、 とてもさわやかな表情になることに気づいていました。 泣くことで何かを抑えて心に留められていたストレスが、 涙とともに流れ出たのだろう、と僕は僕流に理解していました。 よし、瓦林小学校ではそれまでやってきたところと同じように自然にやろう。 同行予定のメンバーも同意して、僕はその日を心置きなく迎えることができました。 3月20日、瓦林小学校の体育館は全校児童、教職員、保護者の方々、さらに、 地域の方々も含めて7、800人の人たちであふれるほどでした。 僕らは体育館が割れるばかりの歓声と拍手に迎えられて登場し、 大写しのスライドを使い、フルートが奏でる調べに乗せての読み聞かせが始めました。 「つきとはくちょうのこ」「ひかりの二じゅうまる」の2話をやったのですが、 どちらのお話のときもよく見えるところにいる子どもたちのなかで、 涙を流す子が次々に現れました。 これは泣かせ過ぎかな、と一瞬、僕は腰が引けましたが、それはまったくの杞憂でした。 終了後、僕らは子どもたちに手や、着衣を掴まれてまといつかれ、 しばらくは脱出できませんでした。 このとき、僕は「よい子に読み聞かせ隊」は子どもたちにいのちがどんなに貴いものであるか、 そして、生きることがどんなに素晴らしいことであるかの2点を伝えていこう、と心に定めました。 「つきとはくちょうのこ」はいのちの貴さ(尊さ)を、「ひかりの二じゅうまる」は、 生きることの素晴らしさをメッセージとして持っている作品でした。 以来、僕らは一貫してその2点を、読み聞かせる物語の感動を通して子どもたちに伝えてきました。 全国の各地を訪れるので、訪れた地が後に思わぬ災害に見舞われることがありました。 そういう地へは必ず読み聞かせ慰問で再訪、再々訪してきました。 2004年の中越地震では長岡市の山古志村の人々の避難所、2005年の福岡県西方沖地震では福岡 市内の玄海島島民の避難所、2006年の新潟県中魚沼郡豪雪被害では津南町、 そして、2011年の東北大震災では、その年から3年連続で各被災地仮設地区7箇所などです。 たまたま1600回めが宮城県南三陸町のまなびの里いりやどで催される、 被災地復興支援出前寺子屋における読み聞かせ&講演になったことで、 被災地慰問に力を入れさせていただいている僕としては嬉しい符合となりました。 南三陸町のみなさま、18日はよろしくお願いします。 そして、全国のみなさま、よい子に読み聞かせ隊がお近くに訪れることがありましたら、 ぜひお越しくださるようお願い申し上げます
スクロールしてご覧下さい。▼