昨日の盛岡は実に爽やかでした。 東京では陽春の風ですが、 この地では、 春がまだ浅いような香りを少し含んで、 精神がピシャッとなる風でした。 新幹線盛岡駅に程近い会場でのお話会をすませ、 後は一路東京へ戻るだけです。 それまでのひとときを、 心地よい風に吹かれながら、 僕は旧渋民村を歩いた遠い記憶を、 思い起こしていました。 高校の修学旅行の行く先は東北でした。 確か松島、仙台、平泉を周り、 東北本線に乗り、 青森に向かったときだったと思います。 盛岡を過ぎてまもなく、 畑の中に大きな看板が見えてきました。 石川啄木の里 渋民村、 と書かれていました。 兄が石川啄木の愛読者だったので、 その蔵書を僕も読んでいました。 ここか、 と見えなくなるまで看板を見続けました。 看板の文字の記憶は、 正解でないかもしれません。 石川啄木生誕の地 渋民村、 だったかなあ。 今、調べてみると、 渋民村は1954年に、 盛岡市に編入されています。 修学旅行は1957年だったから、 渋民村ではなく、 旧渋民村と書かれていたかもしれません。 いずれにしろ、 その看板は、 僕に大きく迫って見えました。 約10年後、 保険の調査員として盛岡を訪れた僕は、 調査の合間を縫って、 旧渋民村を歩きました。 生家跡も見ました、 通りがかりという感じで立ち寄った寺は、 たまたま石川家の菩提寺でした。 墓地の脇を大きなガマがのそのそ歩いてきたので、 道を譲りました。 ヤセガエルとは程遠い横綱級で、 一茶は無視したろうな、 と思いました。 それからでも44,5年経ちます。 これから歩いてみたいと思いました。 いや、 多分、今の旧渋民村はベッドタウン化しており、 当時の記憶を大事にしたい僕は、 首を振って立ち上がり、 真っ直ぐ帰途につくことにしました。
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