ユーディ・メニューインは、 ニューヨーク生まれのバイオリニストである、 1951年に初めて来日し、 1995年の最後の来日まで、 通算5回来日した、 20世紀最大のバイオリニスト、 とうたわれた彼の生演奏を聞いた日本人は、 少なくないだろう、 戦後まもなくから、 博多駅で靴磨きをしているたかしという名の少年は、 お母さんとの2人暮らしだった、 お父さんは、 南の島で戦死した、 少年は戦時中から、 片足が鉄の義足の先生から、 バイオリンを習っていた、 先生のバイオリンを使わせてもらってのこと、 博多の街が空襲で焼けて、 先生の家も焼け、 先生は消息不明になった、 たかし少年は、 母との生活を支えるため、 靴磨きを始めた、 ある日、 メニューインの博多演奏会のポスターを見る、 生で聴けるのか、 たかしの胸は躍った、 しかし、 入場料は安い席で500円、 今のカネにしたら、 ゆうに万を超える、 たかしは食べるものも減らして、 貯金を始めた、 プレイガイドの若い女性に、 「当日までに、必ず買いにくるから、とっといてね」 と、必死に頼みこんだ、 その日、 小銭でやっと貯めた500円をポケットに、 プレイガイドを訪れると、 若い女性は、 800円のチケットをくれた、 「300円は私からのプレゼントよ」 メニューインの素晴らしい演奏に、 たかしは、 体全体が波打っているような感動を味わった、 プレイガイドの女性から、 たかしのことを聞かされたメニューインは、 博多を離れて東京へ戻る日、 使いを出して呼んでもらったたかしと、 駅頭で会った、 「きみの願いは?」 訊かれて、 感激で気持ちがうわずっていたたかしは、 何と答えたのかよく覚えていなかった、 それからしばらくして、 たかしのもとへ、 外国から小包が届いた、 中身は新品のバイオリンだった、 「日本の小さなお友だちへ。たかし君の幸運を祈る。メニューイン」 以上は滝一平著「少年とバイオリン」、 で描かれている実話です。 メニューインは。 1999年、 82歳で他界した。 たかしさんを探している人たちがいます。 その消息をご存知のかたは、 お知らせください。
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