志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.298 2014年1月19日 掲載分
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飽食に呆けているうちに
今さえよければいいという日本人が増えて、
50年100年後の子孫のことを
考えなくなったのではないか
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被災地に行って高齢者からよく聞かれる言葉は、
私達はもういいから、
孫子が安心して暮らせるようにしてほしい、
という願いであり、
そのようにしていかなければ、
という自分達への励ましである、
想像を絶するような災害に遭い、
一時の悲嘆から立ち上がり、
復興にとりかかった人達は、
末代の子孫にまで思いを馳せ、
その安心を願うのに違いない、
今回の都知事選は、
原発の問題が大きな争点の1つになる、
元首相の候補を応援する同じく元首相は、
原発ゼロでも日本は発展できる、
というグループと、
原発なくして日本は発展できない、
というグループの戦いだ、
と大上段に構えた、
この人の好きな戦術だろう、
しかし、この言葉には、
どこか虚しい響きがする、
つまり、正義の旗はこちらだぞ、
といった驕りがどこかにあるからだろう、
私達は原発の恩恵を受けてきた、
僕自身も電気は無尽蔵にあるものと思い込んで、
使い放題に使ってきた、
フクシマの事故で、
被災した人達の苦しみを見て、
私達は強い反省をしたのではなかったか、
その反省は、
2度とこのような事故を起こしてはならない、
という覚悟を生んで当然だった、
その覚悟は、
未来を生きる自分達の子孫の安心を願い、
その健やかないのちを、
約束することに根差したもの、
でなければならなかった、
原発問題にはそういう視点がほしい、
原発ゼロ派も擁護派も、
目先のこと、
目下は都知事選に勝つことに、
捉われているだけのような気がする、
そして、何よりも私達が、
原発ゼロが正義ですよ、
向こうは利害があるから擁護しているだけですよ、
とか、
原発が稼働しなかったら電気代が上がりますよ、
景気が悪くなりますよ、
とかの目先の言葉に振り回されている、
日本人は飽食の時を長く過ごして、
自分達が生きている間さえよければいい、
といった刹那的自己保身的現実主義者、
になり下がってしまったのか、
心の底にある本音は、
けしてそうではないと思う、
未来の日本と日本人の安寧が約束されるなら、
飽食のように電気を使うより、
節約して上手にバランスよく使うに違いない、
もし新しいエネルギーの開発に、
途方もないカネがかかるというのなら、
20パーセントの消費税にも耐えるだろう、
日本人は本来質素倹約を旨とできる、
現在を生きる私達は過去の恩恵を受けている、
過去の人達が築いたもので生かされている、
そうであれば、
私達は未来ために現在を生きている、
未来に何を残したらいいかの答は、
自明のことになる。 |
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