志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.309 2014年3月31日 掲載分
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笑っていいとも…が僕の心の隠れ家だったわけは、
作家としての創作的なものの
見方を修正できる場であったから
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32年間、
本当によく続きました、
タモリさん、
そして、笑っていいともに関わった多数の皆様、
本当にご苦労様でした、
国民的番組、
とよく言われましたね、
何だか解ったような解らないような、
言い方のような気がします、
もっとはっきりした言い方をさせてもらうなら、
その時々の世相を素直に切り取り続けた番組、
だったということです、
そして、巧まざることだったと思いますが、
近未来を先取りするものが、
そのなかにこもっていたのではないでしょうか、
僕がタイツ姿になったのは、
1988年頃のことでした、
当時、
朝のワイドショー番組のコメンテーターとして、
チョイチョイ出演していましたが、
あの番組は板付きです、
初めから椅子にかけていますから、
視聴者はコメンテーターの顔を見て、
そのコメントを聴いています、
脚はテーブルの下に少し見えましたが、
あまり注目されませんでした、
タイツをはかせている脚に、
一気に視線が注がれたのは、
バラエティーに登場してからでした、
カゲキファッションとはやされましたが、
そのファッションが全国津津浦浦に知れ渡ったのは、
笑っていいとものレギュラーになってのことでした、
僕がレギュラーだった時期は、
92年10月〜94年3月でした、
出演してまもなくの頃、
あるパーティーでアパレル業界の人に、
話しかけられました、
いつも外出中に昼食を取り、
そのとき、食事の店の多くは、
テレビで笑っていいともを流しているので、
よく見ている、
ということでした、
「貴方を見て男がタイツをはく時代が、
やがてくると思いました。いいヒントを貰いましたよ」
この方が言った通リ、
2006,7,8年頃から、
若い男性がタイツや、
レギンスを気軽にはくようになりました、
笑っていいともに登場したての頃、
僕はコバルトブルー一色の、
カラーリングをしていました、
その頃、
若い男性で髪の毛を染める人はまだ少数派で、
色も茶髪、せいぜい金髪でした、
「色んな色に染める時代がきますねえ」
ヘアデザイナーが僕の頭を見て、
そう言ったことがありました、
僕の髪は1990年代の終り頃には多色になり、
今のレインボーカラーの確立につながっていきました、
今、レインボーカラーの若者をよく見かけます、
きっと、
笑っていいとものレギュラーだった方々は、
後に出演時の自分と、
そのときの何かを重ねて、
そうか、あの番組は、
近い未来を先取りしていたのか、
と思うことが多いと思います、
それほど凄い番組だったということです、
僕にとっては、
普段無意識に作っている自分を、
本来の自分を取り戻すために、
心にある本来の自分の要素を、
さらけだすことができた番組でした、
言い方を変えれば、
僕の心の隠れ家でした。
* 当時と僕は髪の色が違います。
体重体型にまったく変化はありません、
ただ当時は黒いアイシャドー、眉墨を使っていたので、
今より表情がきついです。
今はいつもすっぴんです。 |
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