志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.318 2014年6月3日 掲載分
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子どもを嫌う高齢者の増加が少子化を
加速させていることに気づいているだろうか
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1947年春、
僕は都下武蔵野市の中学に進学した、
当時から住宅都市と言われたが、
住宅地より畑地のほうがはるかに多かった、
雑木林もあちこちに残っていた、
しかし、この前後から、
畑地や、雑木林は、
凄まじい勢いで消えていき、
住宅地へ変貌していった、
歩いて数分のところに牧場跡があったが、
あっという間に、
木造平屋建ての都営住宅に生まれ変わった、
通学途中にあった雑木林と畑は、
その境を用水が流れ、
フナや、ハヤが捕れ、
初夏の夜はホタルが舞った、
その自然もあれよれよというまに消滅して、
高層の住宅公団の団地になった、
下校時に団地の中を通ると、
小さな子どもがあちこちで群れて遊び、
元気のいい声が飛び交っていた、
集合住宅ならどこでも見られた光景で、
姿が見えなくても、
小さな子どもが遊び弄れるときの声は、
遠くから響いてきて、
こっちも中学生の子どもなのに、
子どもは無邪気でいいな、
と羨ましく思ったものだ、
団地には何か所かに遊び場が設けられていて、
その1つにいつも老夫婦がきていて、
子どもたちが遊ぶ姿をにこやかに見物していた、
我が家の近くに住む顔見知りの老夫婦だった、
2人きりの家庭だった、
○○団地にいつもいるよ、と母に言ったら、
「お子さんもお孫さんもいないので見にいってるのよ。
子どもの声を聞くと元気を貰えるから」
と、答えた、
その団地や、都営住宅から、
小さな子どもたちの声が聞かれなくなったのは、
1990年前後だろうか、
団地の通路はいつもひっそりとして、
子どもの姿は、
その影すらも見なくなった、
2000年前後に、
住宅公団の団地も都営住宅も、
相次いで建て直されたが、
子どもの姿が消えた状況は変わらない、
これは団地が続々と出現した頃に、
新興住宅地と言われるようになった地域でも同じで、
住居は建て直されていても、
子どもの姿を見かけることは、
めっきり少なくなった、
多くは高齢の夫婦のみ、
高齢の夫婦に中年で未婚の子ども、
未婚の中高年のきょうだい、
あるいは独居の高齢者が住む、
核家族化が進んでいることの表れだろう、
高齢夫婦の子どもたちは、
少し遠くの美しく整備されたタウンにある集合住宅で、
子育てをしているケースが多い、
そういう地域の幼稚園保育園に、
読み聞かせイベントで訪れると、
父母の姿よりも、
遠くに離れて住む祖父母の姿が目立つこともある、
一方で子も孫もいない高齢者夫婦や、
結婚したわが子がいても、
子を作らないので、
結果的に孫がいない高齢者夫婦も多い、
そういう高齢者夫婦は、
いずれどちらかが先に逝って、
独居高齢者になる、
孫のいない高齢者夫婦や、
独居高齢者は子どもの甲高い声を嫌う、
耳障りらしい、
街なかの小公園のベンチで憩っていた高齢者が、
小公園に近づく子連れのお母さんたちの姿を認めると、
慌てて出ていく。そんな光景を何度も目撃した、
「子供の声を聞くだけで元気になる」
そう言った母の言葉が蘇った、
老人施設と保育園が隣接しているところでは、
入所している高齢者が元気だと聞く、
子どもたちの遊びまわる姿を見たり、
そのときの声を聞くだけで元気を貰える、
入所している高齢者と園児が、
お互いに訪れあって交歓しているところもある、
これはもうたまらなく元気になって寿命が伸びる、
すでに少子化は深化しつつある、
ひっそりと暮らしている高齢者夫婦や、
独居高齢者に、
子どもと接することが、
どんなに心身のリフレッシュになるか、
を解っていただくことは、
長い目で見れば少子化に歯止めをかける、
と僕は信じている。 |
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