志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.333 2014年9月23日 掲載分
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消えたいのに今日も生きている、
その自分に嫌気が差しますます
消えたいという人のための詩
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ドロン、
と煙になって消えられるのなら、
僕も消えようかな、
好きなときに現れてね、
でも、消えたらそれっきりだもの、
えっ、
こんなに世の中、
生きて楽しいものになったの、
と思っても後の祭り、
もっとも、
消えたらそんなことも解らない、
僕がハタチ前後の話をしようか、
1960年前後のことだよ、
日本は高度経済成長の真っ只中、
仕事はいくらもあった、
でも、
その恩恵を受けている層の子弟と、
そうでない層の子弟、
との格差がひどくあった、
工事現場でバイトをして、
なおかつ足りなくて、
血を売っている学生が、
僕の周りでも2,3人いたかなあ、
とっくに死語になっているけど、
苦学生と呼ばれていた、
結核で死ぬ学生もいたねえ、
若者の自殺も多かった、
失恋自殺、
結核を苦にしての自殺、
厭世自殺というベタ記事の見出しも、
よく見たね、
世をはかなんでの自殺だ、
何で世をはかなんだのだろうね、
挙げれば、
いろいろあった、
でも、
心を病んでのことだろうね、
新宿の飲み屋街の安飲み屋には、
消えたい・死にたい、
言って飲んでる奴がいくらもいた、
僕も消えたいなあ、
生きてる意味ないものなあ、
とよく言っては飲んでたもの、
哲学青年がやたらいて、
サルトルや、
カミュの文庫本を横において、
生きる意味を議論していた、
半年たっても1年経っても、
同じ連中が消えたい、
って言ってる、
生きる意味を喧嘩のように議論して、
酒を飲んでいる、
何だかそうしていることで、
慰めあい発散している、
誰かの隣室の奴が自殺した、
ことがあった、
いつも独りでいて、
飲みにいこうと誘って応じたのは、
たった1回だったという、
別の店でよく一緒になる、
W大の22歳の奴がいて、
いつも1人できてニコニコ飲み、
ときにいい声で、
パット・ブーンなんかを歌っていた、
一瞬だけど、
表情が沈むことがあって、
でもすぐに、
にこやかな表情に戻った、
ある夜、
僕と雑談していてね、
吹っ切れたよ、
と言って立ち上がった、
何が吹っ切れたんだ、
と訊いたら、
「いや、こっちの話」
と笑顔で答えて出ていった、
その日の未明のことなんだよ、
鶯谷駅寄りの、
上野駅の近くの跨線橋から、
彼が線路に飛び込んで、
走ってくる列車に轢かれたのは、
吹っ切れた、
と言ったのは、
死の恐怖を乗り越えた、
ということだったと思う、
酒を飲んで消えたい、
なんて言っていられないほど、
深い苦しみがあったのだと思う、
死に対する恐怖がなければ、
バタバタいっぱい消えていただろう、
僕だって消えていた、
後年、
消えたい・死にたい、
ってよく言っていた奴に会うと、
本気だったけど、
実際に消えるとなると怖かった、
と振り返る、
つまり、
願望だったということ、
自分が生きる意味、
なんて考えなくてもいいよ、
解りっこない、
だから、
みんな生きている、
働いて目標を立て、
夢を描いて、
家庭を作り子を育て、
喜怒哀楽を繰り返しながらね、
生きる意味を現実の世界に求めるなら、
そういうことかな、
認識の世界で生きる意味を問うて、
イメージの翼を広げるのだったら、
楽しいだろう、
足許のことをちゃんとやって、
ちゃんと生きている、
そんな世界に遊ばなくても、
ちゃんと生きていける、
それが生きるということなの。 |
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