志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.346 2014年12月22日 掲載分
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米・キューバの関係改善に蘇った…
22歳だった自分の体が覚えている
小人に圧縮されたような緊張の数日
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1962年10月の数日間、
22歳の僕は夜もろくに眠れず、
緊張の解けない日々を送った、
いわゆるキューバ危機の日々だ、
キューバ危機は、
正確には同年10月14日から28日までの14日間である、
でも、
僕はせいぜい3日間ぐらいだったように記憶している、
14日間を3日間ぐらいに凝集して覚えているものか、
それとも、
14日間のうち特に緊張を強いられた日が、
3日ぐらいだったのか、
それは何とも言えない、
キューバ危機関連のニュースは、
テレビや、ラジオでも聴いていたが、
その圧倒的多くを新聞で得ていた、
自宅で購読している新聞で読み、
駅で他の数紙を買い、
喫茶店に入って読んだ、
キューバ危機関連の記事は、
すべて読んだから、
6,7時間は費やしたと思う、
その時期、
僕は大学卒業を来春に控えて、
大学にも行かずバイトもせず、
毎日、放浪していた、
朝、自宅を出て電車に乗り、
適当に乗り換えて首都圏内の未知らぬ街の駅で降り、
当てもなくさすらう、
腹が空けば通りがかりの店でラーメンライスや、
カレーライスをかっこみ、
パン屋でコロッケパンや、カレーパンを買い、
食べながら歩いた、
ただ当てもなく歩くだけ、
川に行き当たれば河畔を歩く、
海辺に出れば、
波打ち際で蟹とたわむれた、
日が暮れればどこかの駅に出て、
乗り換えを繰り返しながら帰宅した、
翌日は見知らぬ別の街や、
田園を放浪した、
何も考えなかった、
でも、漠然として時に強烈に迫る不安があった、
地球が滅びるのは、
そんなに遠い日のことではないのではないか、
という不安だった、
医者に診てもらったことはないが、
軽度のうつ病にかかっていたのかもしれない、
そういうときに、
キューバ危機が訪れたのである、
予感は当たったな、
という思いがあった、
とうとうきたか、
という戦慄に似た恐怖と、
こんな地球なんか人類もろとも滅んじゃえ、
という自虐の期待もあった、
どうせ死ぬのなら、
チクッという痛みの、
チの1000分の1ぐらいの痛みを感じる、
ぐらいで死にたいな、
とも希望した、
でも、
どこかで対岸で発生した大火事を、
見物しているようなワクワクした感覚もあった、
何が起ころうと自分には無縁なような、
放浪をやめて、
キューバ情勢に全神経を尖らせだしたのには、
僕のそのときの心が病んでいた、
という状況もあった、
米軍の偵察機がキューバ上空で撃墜され、
米海軍の艦艇が核魚雷を搭載した
ソ連の潜水艦に爆雷を投下した、
というニュースが相次いで流れ、
ついに始まる、
と僕は自分の心臓がキリキリ絞られて、
子供の拳ほどに縮小したような感覚を味わった、
後にこの日は暗黒の土曜日、
と名づけられた、
その翌日、
米ソの妥協がなり、
キューバ危機は消滅した、
僕はいまだ経験したことのない解放感を味わった、
そして、そのとき、
僕の心に無意味な放浪を強いていたうつが去った、
キューバ危機当時、
ソ連の核保有数500発、
対して米国は6000発、
今、世界で1万6000発、
第2のキューバ危機が起こらないという保証はないが、
米国の圧力がなければ、
とっくにイランあたりを
核攻撃していたに違いない中東某国と、
我が日本の隣国の独裁国家の核は危険に充ちている。 |
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