志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.356 2015年3月13日 掲載分
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健気過ぎてしっかり者過ぎて、
それだけにその分心に
深い悲しみをたたえている…
19歳の女性の言葉に涙し感嘆した夜
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昨日の新聞で読んだ、
追悼式で3県の遺族代表が述べた、
それぞれのことばの全文が載っていた、
それぞれに心にしみたが、
宮城県代表の菅原彩加さんのことばには、
初め慄然とし次に恐懼し、
読み終えたときは、
彩加さんが目の前にいるかのように、
深々と頭を下げていた、
彩加さんは15歳のとき、
中学の卒業式を終えて、
自宅に帰ったところで、
家族4人とともに濁流に呑み込まれた、
お母さん、お祖母ちゃん、ひいお祖母ちゃん、
の3人が犠牲になった、
彩加さんは気づくと、
瓦礫の山のようなところへ押し流されていた、
足の下から自分の名を呼ばれて、
かき分けてみると、
釘や、木が刺さり足が折れて、
変わり果てたお母さんの姿だった、
何とか助けようと思ったが、
重い瓦礫をよけることはかなわなかった、
慄然としたのは、
その後に続く光景の描写である、
母のことを助けたいけれど、
ここにいたら私も流されて死んでしまう。
「行かないで」という母に、
「ありがとう、大好きだよ」
と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、
一夜を明かしました。
お母さんを何とか助けたいという情は、
それが不可能だ、
と解ったところで断ち切らなければならない、
そうでないと助かる自分の命までも、
みすみす捨てる結果になる、
命が尊いことを知るがゆえの選択で、
まったく正しい行動だった、
まだ15歳なのに、
沈着に正しい判断を行い、
咄嗟にとるべき行動をとった、
その彩加さんの判断の確かさと、
勇気ある行動に、
僕はただ恐懼し深く頭を下げたのである、
石巻市に慰問に行ったのは、
3・11の年の晩秋だったろうか、
その1,2ヶ月前、
モンゴルへ読み聞かせに行った、
いくつかの学校の生徒たちが、
大川小学校の子供たちへ、
慰問の絵と手紙を描き書いてくれて、
僕に託した、
石巻市内の慰問先での読み聞かせを終え、
廃墟の大川小学校を見にいった、
先生方も含めて多くの子供たちの無念を想った、
大川小学校が間借りしている、
飯野川第1小学校を訪れ、
居合わせた大川小学校の先生方に、
モンゴルの子供たちから託された、
絵と手紙を受けとっていただいた、
本当は難を逃れてここで学んでいる、
大川小学校の子どもたちに、
直接、渡したかったが、
この日は運動会で、
終えて全員が帰った後だった、
彩加さんは大川地区で生まれ、
育っている、
泳ぎ着いた小学校がどこかは知らない、
しっかりとした判断と行動で、
自分の命を守ったが、
その心には余人の想像を絶する、
深い悲しみがたたえられているはずだ、
再び彩加さんのことばに戻る、
震災で失った物はもう戻ってくることはありません。
被災した方々の心からの震災の悲しみが消えることは無いと思います。
しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や、
気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。
被災者の胸にある深い悲しみは、
犠牲になった人たちから託された悲しみなのだ、
と僕は思う、
被災した方々がそれぞれの行動や、
気持ちを前向きにすることで、
その悲しみを少しずつ喜びに変えていく、
ことができるのではないか、
長い年月をかけて、
すべての悲しみを喜びに変えることができたとき、
被災地は被災前よりも豊かで、
喜びにあふれた地域になっている、
きっとそうなると信じたい。
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