竹富島は得たいものを得させてくれ失いたいものを失わせてくれる聖地だった。

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志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.372 2015年7月10日 掲載分
 

竹富島は得たいものを得させてくれ失いたいものを失わせてくれる聖地だった。

世界にはいろんな聖地がある。
日本にもいろんな聖地がある。
でも、今までに訪れた聖地は仰々しい建物が周囲を圧し、
訪れるものをのけぞるように仰がせ、
中に入るとガランドウで、
真昼でもところどころに薄暗がりが残り、
そこには瘴気のようなものがこもっているのではないか、
とたじろがせた。
ただ畏怖せよ偉大な歴史に感動せよといった、
無言の押しつけが僕の脆弱な心を締めつけた。
聖地ってなんだろう。
僕の机の引き出しに、
ほぼ楕円形の小さな石がしまわれている。
表面に歳月が作ったと思われる凹凸がある。
読み聞かせで訪れた地で出会った小学低学年の男子が、
その地域を流れる川の岸辺で、
「隊長に似た石を見つけました」
という手紙を付けて送ってくれたものである。
その気で見れば、
表面の凹凸が人の目鼻口に見えないこともない。
凹凸の多い縄文人顔の僕に似ていないこともない。
たまに取り出して見入っている。
長径が親指ほどの長さの石だが、
大きくイメージをかきたててくれる。
元はもっと大きな石で、
ナウマン象が踏んで砕け、
そのカケラの1つが悠久の川の流れに洗われて、
今、僕の掌に乗っている、
その石になったのだろう。
耳に当てるとナウマン象の雄叫びが聴こえる。
なりは小さくても聖地が収まっている。
聖地ってなんだろう。
自然と人間が融合し人間が出過ぎず自然が人間を包んでいる…
ふわりと空間に浮かぶ、そんな球体を想像し、
あるかな出会えるかな、
と僕は自問していた。
それは八重山諸島の石垣島から、
連絡船で10分そこそこのところにあった。
竹富島である。
見事に自然と人間が融合し、
人間は自然に包まれていた。
仰々しいものは何1つない。
赤瓦を載せた寄棟造りの家々をゆったり配した道は、
白砂の道だった。
タクシーもマイクロバスも走っている。
先を急がずのんびりとのんびりと…のように映る。
実際には40キロは出しているのだろう。
でも、そう感じる。
客車を曳く水牛の歩みは、
後退りしているように見える。
ここは時間の歩みがまるで自然と人の意思を嗅ぎとったかのように、
ゆったりしているのだ。
朝のウオーキングで足を止め空を振り仰ぐ。
心身が空の色に滲み溶けていくような感覚がある。
埠頭から見る夕景に、
幼き頃の1コマ1コマが赤錆色に映えて甦る。
夜になれば満天の星たちがささやきを落としてくる。
自然に融合して包まれるのだ。
昼下がり、
小中学生をメインに島の人達に読み聞かせを披露した。
会場のこぼし文庫は、
この島をこよなく愛し、
この島で余生を送ろうとそのための家を建てた文人が、
完成時に病気になり島への移住をあきらめ、
竹富町に寄贈したことで知られる。
その文人とは「おむすびの味」「美のうらみ」などで、
今も根強い読者を持つ随筆家の岡部伊都子だ。
この島の小中学生は合わせて40人、
その大半がきてくれ、大人たちも大勢集まった。
通りがかりの観光客が窓から覗き、
縁側に面した庭先に立って聞いてくれて、
予想以上に盛大な読み聞かせ会になった。
滝のように汗を流したが、
終わった後は体内を清流が巡ったように、
不要なものを洗い流してくれた。
それは恐らく自然との豊かな関わりをないがしろにして、
僕が知らず抱え込んでいた人間の負の意識だったろう。
そうして代わりに得たものは、
そんな人間を短時間で覚醒してくれる、
自然の途方もないおおらかさを知ったことだろう。
また性懲りもなく人間の負の意識を抱えるに違いない。
それを感じたらまたこの島へこよう。
ここは聖地だから。

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