志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.382 2015年9月25日 掲載分
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おばけが怖くなくなった今の子供たちの錯覚と
マニュアル頼りの親たちの想像力の欠如が
魑魅魍魎を呼ぶ。 |
うーん、今の中学生は夜の夜中に仲間と会って、
ふらふら動いているらしいね。
無論、ごく少数派のはずだけど、
年端もいかないのにそういう子が増えたのは、
おばけがいなくなったせいもあるんじゃないの。
今は街は人通りが途絶えても明るい不夜城だもの。
「早く帰らないとおばけが出るわよ」
という昔の親の脅しは効かなくなった。
昔は暗がりが多くおばけが棲み家にしたり、
待ち伏せするところはいいくらでもあった。
おばけは怖い怖い存在だった。
今の子供達にとっておばけは、
できたら身近にいてほしい好きな存在になった。
夜が明けるまで街が明るくなった頃、日本はは高度経済成長の波に乗った。
その時代の転換期に怖いおばけは絶滅し、
新しいおばけに取って代わられた。
オバケのQ太郎である。
高度成長期の申し子である当時の子供たちに、
オバQは拍手を持って迎えられた。
子供が好きな今風のおばけたちは、
オバQの系譜を引いている。
僕はよくおばけの絵本を読み聞かせる。
ちっとも怖がらず友だちが登場したように、
絵本の中のおばけに親愛の表情を見せる子供たちに、
今必要なのは昔の夜、つまり、闇ではないか、
と思うことがある。
昔の闇はただ怖いということで、
子供たちにとって反面教師的に自宅の安全さを教えていた。
自宅の戻ればほっと安心できたのである。
闇にはおばけが棲むと子供たちは信じていたが、
子供を食い殺すおばけなんかいやしなかった。
でも、子供たちがそのくらいに怖がってくれ、
早く帰宅したので不可解で痛ましい事件は起きなかった。
昔だって子供たちが暗闇を怖れなかったら、
稀ながら子供を取り殺す魑魅魍魎は出現しただろう。
異常な人間という魑魅魍魎である。
街が不夜城化して子供たちは夜を怖れなくなり、
宵っ張りになった。
実は親たちが先に宵っ張りになったのである。
遊んで、残業して、別の仕事を持っていて、
それぞれに帰宅が遅くなる。
初めは子供たちもうちで親の帰宅を待っていた。
やがて、親が帰宅してみると、
子供たちの姿がない。
そうか、どこかへ行ったんだ、そういう時代なんだ、
と親たちは納得してしまった。
今の親たちが簡単に納得してしまう理由は2つある。
1つは深夜に出歩く子供たちをどう扱っていいか、
のマニュアルを持ち合わせていない。
子育てならマニュアルはいくらでも学ぶ機会があって、
スキルとしても心得がある。
しかし、深夜に出歩く子供たちを止めるマニュアルは知らない。
想像力をあまり使わない親は、
そうか、時代か、で無意識のうちに心で折り合いをつけてしまう。
もっとも、こういう親は言うまでもなく少数派である。
人通りの絶えた近くの商店街の商店の殆どは、
シャッターを下ろしていても通りはこうこうと明るく、
コンビニや、満喫は営業している。
その光景を思い浮かべて安心してしまう。
しかし、今はそういうところこそが闇で、
昔以上に増えた魑魅魍魎たちが、
牙を研いで獲物を狙っている。
夜の闇が消えて今はもっと怖い明るい闇が至るところにある。
そのことを親たちは認識すべきだろう。
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