志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.386 2015年10月26日掲載分
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15年前、西宮の小学校で行った読み聞かせを聞いた小学生に京葉線の某駅前で声をかけられた。 |
先日のことだ。
僕は京葉線の某駅前で人を待っていた。
「志茂田景樹さんですね」
と声をかけられた。
見ると年若い女性だった。
傍らにお母さんと思われる女性が立っていた。
2人とも人懐こそうな笑顔を浮かべている。
「小学校のとき、
西宮で志茂田さんの読み聞かせを聞いたことがあるんです」
西宮には2,3回、講演や、読み聞かせで行っている。
でも、小学校となるとあそこしかない。
「15年前でしょう。
体育館に全学年が集まり、
PTAや、地域の人も大勢きてくれて」
「ええ、そうです」
年若い女性はとても嬉しそうにうなずいた。
2,3分、話をした。
今でもあのとき購入した絵本を大切にしている。
ツイッターのフォロワーであることなど…
「今日は◯◯◯◯◯に遊びに?」
と、著名な遊園地の名を出して訊いたら、
「今はこの街に住んでいます」
ということだった。
多分、1999年の12月のことである。
兵庫県の西宮市立瓦林小学校のPTAの役員の方から電話を頂いた。
概略、以下の内容だった。
「当校には4年前の阪神大震災で被災した兒童がいっぱいいます。
その子供たちのなかには今でも夜中に悲鳴を上げて飛び起きたり、
授業中の微かな地震にもパニックを起こす子がいます。
うちの学校の子供たちに読み聞かせをしてくれませんか?」
僕はすぐに承諾しました。
期日は来年、つまり、2000年3月の某日に決まる。
ただ年が明け期日が近づくに従い、
僕は何を読み聞かせるかで悩み始めた。
僕が読み聞かせる絵本は自作の物も含めて可哀相な場面があるものが多い。
他人の悲しみをよく理解できる人間に育って欲しいという思いがあるためだ。
でも、被災した子供たちには悲しいことをフラッシュバックさせて、
悲しませすぎるのではなかろうか、と。
悩んだ末、先入観は持たず、どこででもやってきたようにやろう、
と心に言い聞かせた。
当日、感受性の強い子供たちがよく涙ぐむ絵本からやった。
やっている最中に涙ぐむ子がいつになく多かった。
やはり、まずかったかな、と一瞬思った。
3つの絵本をやった後、多くの子供たちが僕や、
フルートの演奏で物語世界を広げたメンバーに纏わりついた。
なかには袖を掴んでなかなか離さない子もいた。
よい子に読み聞かせ帯を結成してまだ7ヶ月、
僕らは子供たちに何を強く伝えていくか…が決まった日になった。
【命は何よりも貴いこと】
【生きることがどんなに素晴らしいことか】
以上の2つをしっかり伝えていきたい、
と心に決めることができた。
読み聞かせ&講演の回数は間もなく1800回に届く。
1回平均200人以上が聞きにきてくれた。
200人として1800回で36万人になる。
このうちの3割強、10万人以上が小中学生、園児が占める。
稀に道や、駅のホームで年若い人たちに、
通園していたとき、読み聞かせにきました。
小学校のとき、学校へきてくれました。
…などと声をかけられる。
継続してきたせいだな、と思う。
これからも継続していくエネルギーの源泉になる。
幸せなことをやらせていただいている。
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