オタイの浦はオタイネの浜とも呼ばれています。大島で目上の女性はその名にネエをつけて呼びますが、オタイネはオタイネエがなまったものでしょう。オタイは小西行長が日本へ連れ帰った朝鮮貴族の娘で、キリシタンになり、オタイ・ジュリアと呼ばれました。関ヶ原の合戦後は徳川家康につかえましたが、キリシタンの禁止後も改宗しなかったので、この地に流されました。この地からさらに新島、神津島に流されれたとも言われますが、はっきりしたことはわかっていないようです。
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