志茂田景樹-カゲキ隊長のブログ No.53 2008年9月26日 掲載分
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自らの闘魂の行方を見定めた彦根藩少年藩士
鳥羽伏見の戦いに勝った新政府軍が東征の軍をおこしたとき、相馬永胤はまだ17歳でした。
彦根で生まれ、幼、少年期の多くを江戸の彦根藩邸で育った相馬は、彦根藩が東征軍に参加すると、早速、江戸周辺の防備の状況を調べ、当時、藤沢宿まで進出していた東征大総督府に向かいました。
大総督府の参謀の西郷隆盛に江戸攻めの策を建策するためでしたが、道中よく新政府軍兵士に拘束されなかったものです。
それよりも、向こう見ずに映りかねないこの行動に走った少年藩士のやむにやまれぬ思いのたけに注目したい。
相馬少年の祖父は、桜田門外の変の事後処理に大きくかかわった人物です。
井伊直弼は討たれて首をとられましたが、その首は現場から大分離れた近江三上藩主遠藤家の門前に放置されました。それに気づいた遠藤家の士が邸内に持ち込みました。
そのことを知った相馬の祖父らは遠藤家と談判して直弼家来の首ということにして、ようやく引き取ることができました。
実は、これにより井伊家はお家断絶から免れた、といって過言でありません。
遠藤家が引渡しを拒み、公儀の手に渡され、直弼の首と判明したら、武門としての面目は丸つぶれでした。それでなくても、反直弼派は幕府内にも多くいましたから、主君を討たれたのみならず、その首も奪われ放置されるにまかした、と重ね重ねの不手際を責められ、お家取り潰しになるのは火を見るより明らかでした。
相馬の祖父らの働きで井伊家は取り潰しこそ免れましたが、10万石を減封され、以降、譜代筆頭としての力を失いました。
相馬は祖父から「いつか汚名をそそげよ。その機がきたら命を捨てて主家に尽くせ」と口癖のように言われて育ちました。
そんな相馬が祖父の死後、5年を経てはじまった戊辰戦争に主家の家名を興隆させ、相馬家の名も高める好機到来と奮い立ったことは想像に難くありません。
それに、相馬は夢多き熱血漢タイプです。
ほかの蒼翼の獅子3人に比べて考えるよりまず動こうとする行動派です。
血のたぎるのに任せて大総督府を目指したのでしょう。
突然現れた彦根藩の少年に、西郷さんもさぞやびっくりしたに違いありません。
しかし、熱血少年の捨て身をよしとする大器量が、この西郷にはありました。
軍事方の桐野利秋、村田新八の両名に、江戸攻めの建策なるものを聞き取らせてくれたのです。
その建策を両名が聞き入れ、東征軍の軍事行動になにかのかたちで反映させたかどうかはわかりません。
ただ、後に相馬は、「薩摩訛りがきつくてなにを言っているのかさっぱり聞きとれなかった」と述懐しています。
江戸へ帰った相馬は東山道を進んで北関東に入っていた彦根隊に加わり、北関東各地を転戦します。
主家に尽くそう、手柄を立てようという思いは人並みはずれてあったはずですから、少年相馬の闘志、闘魂は火の玉に近いものだったにちがいありません。
しかし、このときの彦根隊はまがりなりにも洋式編成で、銃隊が主力です。銃を支給されていない相馬は、刀槍隊所属です。
銃撃、砲撃で敵を圧倒し、敵は多くの場合、圧倒されると、撤退します。
奥羽越列藩同盟軍は、旧幕歩兵隊や、会津、桑名、長岡藩の一部を除くと、装備も劣弱でした。
刀槍隊出番の乱軍になる前に撤退するケースが目立ち、火の玉の闘魂はあっても、少年相馬が手柄を立てる機会は、なかなか訪れませんでした。
ところが、戦線が北関東から東北に進んでの二本松城攻略線で、ついにその機会が訪れました。
手ごわい敵相手に乱戦になり、相馬は戦友と2,3の敵を斬り伏せたあと、新たな敵と1対1の斬りあいになりました。
互いの刀から火花が散る壮絶な戦いが続きましたが、一瞬の隙を見出した相馬の必殺の一撃が勝負を決め、敵は血しぶきをあげて倒れました。
「倒れるとき、敵兵は、わしを恨み無念に思うような、自分を情けなく思うような、なんとも形容しがたい目でわしを見たもんだ。敵兵のそのときのその目を忘れることはなかったな」
相馬の後日談です。
僕はこのときの白兵戦を機に、相馬に大きな心境の変化がおこったと確信しています。
この時期は薩摩、長州、土佐、肥前などの味方雄藩の洋式隊の強力な装備とその威力をまのあたりにして、これからは欧米の新知識と工業力に学ばなければやっていけないことを悟っていたでしょう。
そのことは相馬の視野を大きく広げ、主家のため、わが家のためよりも、日本を守るため、近代化するために尽くすという気持ちをおこさせました。
さらに、同胞相食むことの愚と虚しさを思い知らせ、相馬の目を海外に向けさせ、建設的な夢を描ける大きな志を持つことの尊さを教えてくれたはずです。
戊辰戦争の体験は、相馬を蒼翼の獅子にする引き金になったのでした。
火の玉のようなその闘魂は、日本人が日本語で教授する法律、経済の専修学校を創ろうという不屈の情熱に転じていきました。
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