第2回震災読み聞かせ慰問〔被災地にこぼれる輝く笑顔〕
それは遠野から始まったのであります。
第2回読み聞かせ慰問は2泊3日で岩手の釜石、大船渡の両市に入り、5箇所を巡りました。
そのうちの1回はハプニングで、ボランティアの方々を炊き出しで支援しようというボランティアグループに参加しての慰問になりました。
5月15日の夕方にはまだ早い時間に遠野に着き、予約した民宿へ歩き始めてすぐに元気のいい女性たちから声をかけられたのであります。
福祉センターの体育館に全国から集まったボランティア約200人が泊まっている。
この方々は温かいものを食べられないでいるので、遠野の私たちが炊き出し支援をしてその労をねぎらうことになった。
「今晩、それをやるんですが、シモダさんも参加して炊き出しを食べ、ボランティアの人たちを励まし、歓談してくれませんか」
ハプニングは好きである。
それにボランティアのためのボランティアという視点がいい。
被災者への支援は行き届いて避難所の方々も温かいものを食べられるようになっている。
しかし、手弁当で瓦礫運びなんかをやってるボランティアの人たちは夕食をコンビニのおにぎりや、弁当ですませていることが多い。
遠野に宿をとったのは翌日午前中に釜石に入るためである。
慰問に備えてこの日はゆっくり休んでおこうという気持ちもある。
つまり、寝るまで予定はない。
僕は快諾した。
そうして参加した野外で行われた炊き出し夕食会はボランティアの方々のくつろいだ表情に、こっちの気持ちも大いに和んだ。
炊き出しのなかではけんちん汁や、すいとんを思わせる郷土料理のひっつみ汁が人気で、アメリカ人の女性が歓声を上げて汁を吸ったり、自宅に妻子が待つであろう中年男性が子供のように無心な笑顔を浮かべ、ふうふう言って食べる姿が目に焼きついたのであります。
ひっつみ汁はたしかにうまかった。
どなたかレシピを教えてください。
数グループとかわるがわる記念撮影をして、
「ほら、パンダになってる」
と、地元の女性にひやかされましたが、喜んで貰えるならいともたやすきことであります。
短い時間でしたが、被災地の新情報も得られていい予備知識になりました。
遠野の福祉センターにお泊りの皆様、ありがとうございました。
翌朝、釜石線の本数の少なさに気づき、ちょいとびっくり。
10時12分の釜石行に乗ることにして、朝食後、探索がてらウオーキング。
通りがかりのビルから飛び出してきた女性たちに呼び止められ、FM遠野に出てくれないかということで、急きょ出演、被災した子供たちと読み聞かせについて語りました。
ウオーキングを再開、遠野の河童と出会うことができました。
湧水のそばで無心に冷気(霊気)を浴びている体の河童氏にしばし僕も無想の境地を味わったのであります。
釜石駅前で東京から駆け付けた仲間と合流、市内平田にある特別養護老人ホームあいぜんの里に向かいました。
製鉄の、今はそれ以上に漁業の港町釜石の街並みは無残な残骸と瓦礫の原に変わり果てていました。
無惨、無情、無慚〜そんな言葉が瓦礫の隙間からこぼれ出てくるようでありました。
あいぜんの里のある平田地区も海辺の街並みは大津波の爪にがりがり引っ掻き回された痕そのものでありました。
あいぜんの里は高台にあり、道を這い上がってきた津波も三陸鉄道の高い盛土に阻まれたそうです。
90歳以上の高齢者も何人か混じる入所者の方々が童心に還って見せる邪気のない笑顔に、瓦礫の原を前にしてささくれ立った僕の心もおだやかに滑らかになりました。
帰り際、94,5歳の女性の手を握りましたが、その手の温かさに感動しました。
同じ平田地区の避難所に回りました。
お父さんや、子供は勤務や、学校で、お母さん方が待っていてくれました。
元気な笑顔で迎えてくれました。
この避難所は廃校になった商業高校の体育館で、その前の校庭では数十棟の仮設住宅が建設中でした。
完成間近で、きっと避難所の方々も復興のしるしを見ているようで心強いのかもしれません。
暗くなる前に大船渡市三陸町越喜来の海辺を訪れました。
旧三陸町だった時代、この地にあった当時の中央公民館で読み聞かせ&講演を2001年と2002年に行っています。
両年とも地域の老若男女が大勢集まってくれました。
この地域も壊滅状態と聞いており、中央公民館がどうなっているか、この目で確かめたかったのであります。
「ここが・・・」
中央公民館ホール跡を見てわが口から洩れたのはこれが自分の声かと一瞬、疑うほど悲痛に沈んだ声でありました。
ここで読み聞かせ&講演をやったのであります。
無惨あるのみ、黙すのみ・・・
最初にこの旧三陸町中央公民館を訪れた2001年2月10日は越喜来の海辺に出るまで雪深い山中の道を通り、途中で目が点になる光景に出会いました。
見下ろした谷の途中でシカが2頭、雪を朱に染めて倒れていたのであります。
近くにハンターと思しき人たちがいました。
読み聞かせ&講演でこの話をしたかどうかは覚えていません。
ただ、耳を澄ませば館内でも波音が聞こえ、集まった方々の伸びやかなようすに、思わず、
「皆さん、いいところにお住まいでうらやましいです」
と、言ったのは覚えています。
子供たちに小学生が多いように見えたので、この前年の3月、兵庫県立西宮市立瓦林小学校を訪れ、読み聞かせを行ったときのことを思いだしたのであります。
その小学校には園児や、小学低学年時代に阪神大震災で被災した児童が多く、5年経った当時でも夜中に叫びを上げて、飛び起きたり、荷物を満載したトラックが起こす振動におびえ身近の大人にしがみついたりする子供が何人いるということでした。
その子供たちに読み聞かせを行って心に安らぎを与えてほしいというPTAからの依頼でした。
そのときの読み聞かせに感動して涙を流した子や、終了後、まつわりついて離れななかった子供たちの顔を思い浮かべながら読み聞かせを行ったので感情移入が過ぎたかもしれません。
「元気が一番だよ。どこかに可哀相な子供がいたら優しくしてあげてね」
強く素直にうなずいてくれてたのもしく感じました。
ゼロ歳や、1、2歳のちいさなちいさな子供たちもいました。
その子供たちでさえもう小学中、高学年です。
ここの子供たちはだいたい越喜来小学校に進みます。
その越喜来小学校は全壊状態と聞いていたので、子供たちのことが心配です。
中央公民館から歩いて1分ほどのところに、モスグリーンの屋根と白壁が印象的な瀟洒な建物がありました。
近づいてみると、これも廃墟であります。
特別養護老人ホームさんりく園の廃墟で、ここでは56人の高齢者が亡くなり、あるいは行方不明になりました。
ただ合掌!!
公民館などで読み聞かせ会を開くとご高齢の方の単独参加も多いのであります。
泊まった旅館も絵本のサイン会を仕切ってくれた本屋さんもあとかたもなかったのであります。
無惨やな〜
つぶやきも声にならず。
明日(17日)は旧三陸町2つの小学校で4校の児童、1園の園児に読み聞かせを行うことになっているのであります。
翌17日、最初に訪れた大船渡市三陸町吉浜の吉浜小学校は津波に襲われず全児童が無事のところです。
ここで越喜来小学校も全員無事であることを知り、胸を撫であろしました。
吉浜小学校の体育館には約70人の児童とすぐ近くの園の園児約30人が待っていてくれました。
子供たちが物語世界を自在に楽しんでくれたことも嬉しかったのでありますが、それ以上に嬉しかったのは何物にも代えがたい輝く表情こぼれる笑顔でありました。
無二の笑顔です。
続いて越喜来甫嶺にある甫嶺小学校を訪れました。
体育館に甫嶺小学校、越喜来崎浜にある崎浜小学校、越喜来小出にある越喜来小学校3校合わせて150人前後の児童が待っていてくれました。
越喜来小学校の子供たちに、
「2001年、2002年と続けて中央公民館スクリーンに絵を
映しながら読み聞かせをやったんだよ。覚えているかな?」
と、訊いてみました。
何しろ9年前と10年前のことです。
今6年生でも2,3歳のときのことでしたから、手が挙がるとは思わなかったのです。
しかし、二人の子供が手を挙げたのであります。
ジーンときました。
読み聞かせ冥利につきました。
被災地に慰問にきたのに、力をいただいてしまいました。
この感動も無二であります。 |