2月6日、7日、気仙沼市大島を訪れました。
今年第1回の被災地慰問になりますが、気仙沼湾に浮かぶ大島について、僕はほとんど無知でした。
それでネットや、百科事典で予備知識を仕入れて、驚きました。
僕の小学6年時の同級生に水上伶子さんという方がいました。
卒業後、1,2度、会っていますが、その後は消息を知りません。当時の同級生にも問い合わせましたが、ずっと音信不通だということです。
それはそれとして、伶子さんのお父さんは水上不二という歌人詩人でした。
たまたま当時購読していた「少年」という雑誌に詩を連載していたので、愛読していました。
そのお父さんが大島で生まれ、読み聞かせ慰問に行く大島小学校を卒業したと知って
不思議な縁を感じました。
「よい子に読み聞かせ隊」に声をかけてきた今回の主催者「いわし」は島の読み聞かせグループですが、その名称も水上不二作の詩「いわし」に由来しています。
大島は東日本で最大の人口を誇る有人島です。最盛期は人口6千を超えていました。
震災前は3300人前後、津波で31人の命が奪われています。
大島小学校は島西南部の高台にありました。津波が寄せてきたときは西南部の住民の多くがここへ避難したそうです。グラウンドに接して数10棟の仮設住宅が建ち並んでいました。仮設住宅から通学している児童も数人いるようです。
大島小学校の現在の児童数は100人余り、最多のときは人口6千人で600人いたそうですから当時は子どもが多い島でした。
読み聞かせ会は6年生はまだ授業中でしたが、約50人の児童と保護者が集まり、川村利美さんに琴の演奏を挿入してもらいながら始まりました。水上不二作「いわし」を語りでやりましたが、小学時代の伶子さんの顔が浮かんできました。 |