信濃大町に降り立つ。
途端に呼吸が深くなる。空気の味が違うぞ、と僕が意識するより先に、僕の呼吸器のほうがいち早くそれを察知したのである。
迎えの車に乗り込む前、ぐるりと周囲を見渡す。建造物に遮られて見えない山々も多いが、どの方角にも山々がある。
巨大な箱庭の真ん中に立ったような気分だった。山々に守られている。なるほど、人間てこんなときに凄く自己中心的に、つまり、ジコチュウになるのか、と納得した。
大町は登山好きならその名を耳にしただけでしびれるだろう。立山黒部アルペンルートの根拠地、鉄道に例えればターミナル駅になる。
仁科三湖や、高瀬渓谷でも知られ、黒部ダムも近い。「黒部の太陽」に心を打たれて、もう数十年か。主演の石原裕次郎、裕ちゃんのダイナミックな演技が蘇る。
裕次郎映画はあらかた観たと思うけど、この映画でもう1本、挙げるとすれば「嵐を呼ぶ男」だろう。僕の好みで申し訳ない。一方は山中、一方は大都会の夜の繁華街が主舞台だけど、一途な男の生き方をダイナミックに描き切っている点で大いに共感できた。
「嵐を呼ぶ男」の裕ちゃんと「黒部の太陽」の石原裕次郎をそのまま入れ替えても、面白いだろうなあ、と思ったことがある。
ところで、古い町並みも含めて、大町は観光ポイントに恵まれすぎている。読み聞かせや、講演で観光地を訪れていつもいつものことながら、今度は観光でゆっくりこようと強く思う。というのは、世知辛い世の中になったせいもあるが、今はアクセスさえよければ北海道でも九州でも日帰りになる。そのように取材者が組む。
もっとも、日帰りのほうが翌日は朝から原稿が書けるし、また、違う方角の地へ講演で飛んでいくこともあって、こっちの都合ということが多い。
この原稿を書いている数日後に例を挙げると、九州の久留米市に講演で飛び、戻って八王子の図書館で講演を行い、翌朝は九州大分に読み聞かせ&講演で舞い戻ることになる。すぐそばに観光地があっても横目で睨んで通り過ぎるだけになる。
マタタビの匂いが漂ってくるのに、そっちを一顧だにせず、足早に通り過ぎなければならない猫を思い浮かべていただくと解りやすい。
今回もサンアルプス大町での読み聞かせ&邦楽コンサートが終わればすぐに東京へ取って返す。
サンアルプス大町へ向かう間、手を伸ばせば届きそうなところに見える山並みに目を奪われた。この山々のどれかが鹿島槍ヶ岳であるけれど、あれらしいと感じても山岳音痴の僕には特定できない。
邦楽とのコラボになるイベントは午後2時に始まる。午前11時に会場入りしたので昼食までにもまだかなり時間がある。
電池の消費が早いスマホのために単三電池を買うことにした。会場から一番近いコンビニの所在地を訊くと、約2キロだという。往復4キロなら少し物足りないが、ウォーキングになる。
しばしの観光ウォーキングになる、と勇んで会場を後にした。街道の宿場町のなごりが残る道筋を歩いていたら握手を求められた。
応じてまた歩き出すと、先々の店や、民家から人が飛び出してこっちを見る。ああ、ケイタイか、と僕はうなずいた。
地方へ行って道筋がひっそりしているので、ウォーキングにいいぞ、と歩き出すと、先々に人が飛び出して待ち構える。
誰かが僕を見かけると、歩いていく方角の知り合いにケータイで、
(頭が虹色で、派手なタイツを履いた奴がそっちへ歩いていくぞ)
と教えるのである。
握手したり、一緒にカメラに収まっているうちに時間が過ぎる。買い物をした帰途は半ばジョギングになった。
お陰で普段着兼よそゆき兼衣装の着衣の下着は汗びっしょりになった。
ところで、イベントは邦楽グループの【むつのを】の皆さんとの呼吸が合い、着替えた下着の肌触りもよく、気分よく物語りの世界に入って語ることができました。
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