「水上不二と雑誌【少年】と僕」水上不二研究会
前日の13日に大島入りしました。
2012年2月以来2年ぶりの再訪になりました。
前回は島のお話の会「いわしの会」から慰問にきてほしいという以来で訪れました。
訪れる前、気仙沼大島という島の存在を初めて知ったほどで予備知識を得るため、ネットで調べて大変驚いたことがありました。
この島を「海はいのちのみなもと 波はいのちのかがやき 大島よ永遠にみどりの真珠であれ」
と称える詩を作った詩人がいました。
その詩人の名が水上不二と知ったとき、僕は独り叫んでいました。
小学6年時、僕は光文社刊の雑誌「少年」を購読していました。
真っ先に読むのはコラム枠で同じ詩人によって連載されていた詩で、海がテーマのものが多かったと記憶しています。
うろ覚えですが、海に一気に潜る島の少年を描いた詩は、当時、虚弱体質で耳の病気もあって水泳を禁止されていた僕の心を揺さぶりました。連載詩の作者は水上不二という詩人でした。
その春、僕らのクラスに水上K子ちゃんという物静かな子が転校生として入ってきました。
2,3ヶ月も経って、担任の先生が「K子ちゃんのお父さんて、ものを書いてる人だよね」と訊いたとき、僕の頭を第六感が突き抜けました。
(お父さんは水上不二ではないか!)
翌日、「少年」の最新刊を持って登校しコラムの詩のページを広げて、
「これ、K子ちゃんのお父さんだよね」と言いながら見せると、K子ちゃんは黙ってうなずきました。
その水上不二が生まれ育った島へ慰問に行くことに不思議な縁を感じました。
小学校他2箇所で読み聞かせを行い島の老若男女の方々と交流できて再会を約しました。
水上不二関係の資料にも目を通す機会を得ましたが、慌ただしい1泊の旅でしたので充分に調べることができず、この詩だ、と特定できる作品には巡り会えませんでした。
今回は水上不二研究会の招きでしたが、僕とマネージャーでもある妻を東北新幹線の盛岡駅から島の宿舎の民宿まで「いわしの会」の主催者が車で送り届けてくれました。 |